タナカ

多分めっちゃタメにならない

インフルエンザのときにタバコを吸って思ったこと

新年2020年になりました。ついでにインフルになりました。ちょっとした風邪の時でも38度くらいは熱が出るので、風邪だと思って病院に行くと、医者にインフルといわれました。僕からするとインフルなんて一大イベントですが、医者からすると頻繁に起こりうることなのでしょう。その申告はあまりにも短絡的すぎて思わず「え、僕インフルなんですか」と聞いてしまいました。しかし、案外インフルというは簡単でちょっと高い薬を飲めば次の日には「ちょっと筋トレ行こうかな」と思えるくらいに回復します。下手に風邪をこじらせたほうが幾分かつらいです。先述した通りインフルにはなったものの、次の日には自分としてはほぼ回復しているので、何か活動を試みようとしますが、外出してしまってはただのバイオテロなので、家で何かしなければいけません。家での活動の一歩として我々喫煙者はタバコをまず吸って何をするか考えます。残り3本のタバコ。一本目に火をつけ、スマホを見ていると“白石麻衣”の文字が目に飛び込んできます。乃木坂46白石麻衣が卒業のニュースです。最近アイドルにあまり関心はなかったのですが、僕が高3の時乃木坂を好きになったころには、もう彼女はほぼ天下を取っていました。織田信長くらいでした。その後も写真集を出せばあほみたいに売れ、映画に出れば騒がれ、アイドル好きでなくても彼女を知らない人はいないでしょう。徳川家康くらいですね。その白石麻衣が卒業というのはかなり大きな何かの終わりを意味している。そんな気がします。新年早々卒業発表したら、今年は最悪の年だなんて思う人も多いだろうに。なんとなくアイドルが好きだったころを思い出します。体調を崩したけど、ふとこういう風にちょっと昔のことを考えさせてくれた。そして白石麻衣。いいインフルエンザ(インフルエンサー)でした。これが言いたかっただけです。ごめんなさい。あけましておめでとうございます。

セミ

セミの一生は短い命のことに比喩されることがよくあるが、彼らは可愛そうなものだ。夏の風物詩!と祭り上げておいて、いざセミを見ると「気持ち悪い」って言う。かく言う僕もあんまり好みではない。セミ界にも橋本環奈的な存在はいるだろうが、あいにく何倍も大きい我々人類はその審美眼を持ち合わせてはいない。基本的に虫は苦手だ。橋本環奈を美と捉える感性の持ち主に虫は美の要素を見いだせないのである。先日家の前に一体の正体不明の虫がいて家に入れなかった。じっとしているのも阿呆らしいのでジムに行った。戻ってきてもまだいる。お前は何をしている。虫たるもの、光めがけて飛んだりしないか。虫にも引きこもりという種類がいるらしい。なんだか自分を見ているようだった。万歩計が20を示し、腹が減ったらコンビニへ。大学生の夏はどこに行った。海も飲み会も僕の世界線に存在しないだろうか。海に行く目的が水と戯れることであれば、台風の中自転車に乗ったことで達成した。飲み会の目的が楽しさだったら僕には筋トレでいい。セックスがしたいのなら出会い系でもやればいい。夏を楽しんでいない、夏らしいことをしていない、と考えてしまうのも、セミが鳴かなくなったら終わる話だ。セミについて少し考えただけ少しは夏らしいことをしたのだろうか。

2019年が始まるよ!

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

2019年が始まりました。2018年にやり残したことは第一志望の大学に合格することくらいですかね。2018年を振り返ってちょっと思い出に浸るという一過性のものをここでやろうとは思わないし、2019年の抱負なんていう3日後には忘れてるようなこともやらないので、なにも書くことがありません。

そこでお題というのがあったのでそれに従って書こうと思ったのです。お題はこうでした。

今週のお題「2019年の抱負」

 

まぁそうですよね。年始のお題にはもってこいですよね。今年の抱負はありません。以上です。

 

 

 

 

 

帰省

水戸に帰省した。

私文落単大学生が実家に帰省したという情報は僕の身内くらいしか有益、と受け取らないだろう。しかし、それくらいしかここ書くことがないのである。お正月というのは休んでたブログを書き始めてしまうくらい暇なのである。

まず帰省して会ったのは友人である、気心の知れた。これは僕が大学に入って手に入れてない2つのうちの1つだ。ついでにもう1つを言うと単位だ。どちらも天から降ってくればいいのだが、人が降ってくるなんて『天空の城ラピュタ』ではないんだしあり得ない。とここまで電車で書いていたのだが車掌さんに声をかけられた。「あっちの電車に乗り換えてください」周りを見たら誰もいなかった。まるで大学でお昼ご飯を食べるときのようだった。こうして無事電車の乗り換えをした僕は無事、1時間立ちっぱなしで東京に行く権利を手に入れた。地獄だ。

話をもとに戻すが、友人8人と会い、サイゼリアに行った。この選択により1名は無駄な時間の使い方を強いられることとなる。サイゼリアに間違い探しというのがあるのはご存知だろうか。我々大学生8人を持ってしても30分位の時間を搾取された。最後の1個がどうしても見つからないのである。3人寄れば文殊の知恵ということわざは偽であるらしい。こうして長い時間をかけ全て間違いを見つけた、1人を除いては。彼は某有名私rits大学にかよっているのだが、そんな彼は2時間かけ最後の間違いを探し出した。彼が必死で子供向け間違い探しを凝視していた間、僕たち7人で大富豪をやりましたとさ、めでたしめでたし。

転売を叩くやつはバカ

同志社という大学の学園祭に吉沢亮という人間が来るという。イケメンが来るのである。女子は大はしゃぎである。同志社のイケメンたちは「クソ〜」と思っているかもしれない。まぁ特に関心のない僕にはあまり関係の話だが、この出来事で1つ話題になったことがあった。「転売」である。転売と聞くと無意識に悪いことと思う人もいるだろう。僕だって聞いていい印象を持つことは別にない。実際転売というのは、たくさんお金を持っている人からお金を搾取することであり、現代のルパンのようなものである。資本主義の究極とも言えるかもしれない。僕が物申したいのは、転売をむやみやたらに批判する人間である。チケットを販売する側の人間や本当に吉沢亮が好きで好きで仕方がない人が批判するのは分かる。しかし特に何ら関係のない人間がこの転売を批判するのはどういう了見であろう。転売の何が悪いかしっかりと明示してから転売ヤーを叩いて欲しい。たしかに割り込みをしたりするのは悪いが、転売ヤーすべてがそうでないので、転売そのものの批判にはならないのは自明だろう。単純に血眼になって転売を叩くのは感情的過ぎではないか。2文字でいうとバカだろう。「高くなったら買えない人がいる」そんなのは知らない。お金を稼ぐか諦めるのが妥当だろう。どうしてもほしいのならそのために働くということだって可能だろう。

 

以上より転売を叩くやつはバカである。

iPadが欲しい

端的に言うとiPadが欲しい。偏見ではあるが、iPadを使っている人は仕事ができそうである。洗練されたデザインがそう思わせているには違いない。これもその例なのだろうが、持つものによって人の印象というのは決まってくる気がする。人は中身が大事だというのも分かるが最初に見るのは見た目になるのだから、そこが判断基準になるのは仕方がない。まぁそれはいいのだ。ともかくiPadが欲しいのだ。薄い板にApple Pencilで落書きをし、キーボードをつけてタタタターンとやりたいわけだ。問題は価格である。iPad本体にペン、キーボードをつけると10万オーバーである。パソコンが買える。まぁ文系大学生がパソコンで行う作業などiPadで事足りることは分かっているが。

最後に言えるのは誰か買ってくれ、iPad

自転車に乗れました!

随分と攻撃的であった夏の気候は戦闘力を失ったようである。「涼しい」というより「寒い」と表現しても違和感がないほどではある。冒険と言うには盛大で旅と言うにはちっぽけなことをした。京田辺から今出川への自転車移動である。分かる人はわかると思うが、誰でも分かるように距離で言うと30キロほどである。なんとなく盛大なことをした感じで書いているが、実を言うと大したことはなかった。ただ自転車に乗っていただけである。ハプニングも大して起こらなかった。大変だったのは、おしりの痛さと歩道のない道くらいだった。前者は言わずもがなだとは思うが、やはり長距離移動にはいいサドルを選ぶべきだという言葉を痛感した。後者に関しては、狭い車道にでっかいトラックが通り、わずかに残ったその隙間を通るのである。怖いし危険だ。

京田辺というところは田舎で、最初はとんでもない砂利道を通らされた。グーグルマップの仕業である。クソ、とは思いつつも小さな川沿いを走る道であったので、ちょっと寄り道をした。川を見ると網を入れれば大漁に採れそうなくらいたくさん魚がいた。すると農家のおじさんらしき人に「それね、フナだよ」みたいなことを言われたが多分フナではないというのが僕の意見ではあった。まぁいい。別に僕は専門家ではない。

田舎道を走るのは楽しかった。しかし舗装された道路はすぐに現れた。ここからは本当にただただ自転車を漕いだ。途中でトイレ行きたいなぁと思ったところでイオンが見えてくる、というファインプレー以外に大した思い出はない。イオンはどこにでもあるんだ。

こうして自転車を漕ぎまくり自宅に到達した。その後に脚の筋トレを行ったのは、今考えれば、というかいつ考えても最高に気が狂っています。