タナカ

多分めっちゃタメにならない

壊滅的休日マザーファッカー

目が覚める、正午に。12:00ぴったりに起きた感動がこんな時間まで寝ている罪悪感を吹き飛ばした。12時といえばランチである。シャワーを浴びすっきりした体でお昼ご飯を買うためにコンビニへ行く事にした。家を出てわずか数秒の事である。水遊びをする子供の水鉄砲の銃口が僕に向いている事に気づいた。本日2回目のシャワーである。子供とはいえ、かなりの正確な射撃であった。子供が苦手な僕は急いでその場を立ち去り、その子とコニュニケーションを取らないぞ、という意思表示をした。何を隠そう僕は子供が苦手である。行動が理解できないからだ。

少し前にジムの更衣室で、ロッカーに手が届かない子供がいたので「とってあげようか」と優しく声をかけた。その子は無視してどこかへ行った。僕は近くにあったゴミ箱を蹴飛ばした。大学生にもなって子供の行為を許せないなんて短気極まりない。この経験から「子供は嫌い」という感情と“保育士の偉大さ”を知った。僕が保育士だったら2秒でやめるだろう。これで将来保育士になったらおもしろいが、世の中はそんな面白いことばかりではない。

足早に子供の水遊びエリアを立ち去った僕はなぜか半分だけ濡れた服のままコンビニへ入った。そしてアイスとチョコチップクッキーを買った。帰り道に致命的な事に気づいた。昼ご飯を買い忘れた。もう帰り道の八分は終わっているのだ。引き返す気力はない。家でなんか作るか、そう結論付けた。するとまた先ほどのスナイパーストリートにたどり着いた。家に帰るには絶対通らなくてはいけない。すでに子供はいなかった。3回目のシャワーは免れた。よかった。

だがいいことの後には悪いことがあるらしい。家の帰ってみると米しかなかった。とりあえず炊いた。そして醤油をかけて食べた。これが美味しいことを僕は小学校の給食で知っていた。小学校で学ぶことは漢文よりは役に立つ。逆に漢文の役に立たなさはすごい。学生に古代中国語を古代日本語へ変換する作業をさせるのである。そんな作業するんだったらゴミ拾いでもさせろ。教育陣からの反論はわかっている。「漢文は教訓となることを教えてくれる」おいじゃあ古文って何だ。近親相姦のオンパレードじゃねぇか。現代の恋愛小説でももっとましなこと書くわ。

その後、二度寝というのかは分からないが睡眠をとった。起きて飯食ってまた寝る。休日の無駄遣いである。たまにはこんな休日があってもいい、と思う。と言いたいが週末が来るたびにこのルーティンを繰り返すのである。ルーティンってマイナスな意味で使うのだろうか。そして唯一の人間的な行動にでる。バイトだ。まだ新人だが、もう何回も行っているので僕の中では日常の一部になっている。バイトの日常に僕はまだなっていないが、バイトは僕の日常になっているのである。一方的な話だ。

壊滅的な土曜を過ごした次の日、つまり日曜も昼近くに起きた。昨日のデジャヴか、と思いきやこの日の午後は違った。なんと友達の家に行った。僕のブログで「友達いない」以外に“友達”というワードが出て戸惑っている人も多いだろうが、この友達は高校のものである。「古文、漢文はくそだぁ!」なんて言いつつも高校は楽しかった。そんなことを思い旧友と再開した。そして外に遊びに行ったんだが、途中で犬がいた。柴犬となにかの雑種だろう。僕は思った。ここで僕が吠えなかったら誰が吠えるんだ。僕が「ワン」と言うと熱意が伝わったのだろうか、「ワン」と帰ってきた。これぞ異生物交流である。しかし、その友達との交流を失いかけた。危ない危ない。