タナカ

多分めっちゃタメにならない

あきらめよう

「死にたい。とか 殺すぞ。が口癖の人とは今すぐにでも絶交するべき。育ちがいい私は、死ねなどという言葉を子供のころ発したこと、言われたことがなかった。中学二年の時仲良くなった少女Kに、はじめて「死ね」といわれたときは、本当に傷ついた。とてもかわいい私の昔話である。」

 

僕がボーとしている間に居候が書き残した文章だが、絶妙にセンスがある気もするし、ない気もする。なぜこの文章が生まれたかというと、僕が「死にたい」と言いすぎているせいらしい。しょうがない、今は大学生にとって地獄であるテスト期間である。死にたくもなる。元を言えば、コツコツ勉強していなかった自分のせいだが過去の反省をしても単位が取れるわけではない。効率的に勉強できる解決策を考えなくては。

まず第一に言えるのが、ブログを書くのをやめるということ。ブログで1000字なんて書くんなら、レポートをその字数分埋めるべきだろう。ブログだと1000字なんて楽にかけるのに、レポートの1000字はそうでない。あぁせめてレポートはテスト期間前に終えておくべきだった。

 二つ目に言えるのは、あきらめる大切さを知ること。悪あがきというのが大切なのは小学校とか中学校という義務教育くらいで、高校からは効率の良さとあきらめが大切と知る。あとブラック企業に就職したら悪あがきしながら一生を終えるかもしれないが。

 

結論として、「死にたい」というと怒られるのでこれからは「人生をあきらめたい」と言おうと思います。テスト勉強とレポートは知りません。

 

 

 

夏に襲われています

「暑い」この言葉だけでせっかくの京都での夏一年目が終わってしまうのも惜しいが、そうなりそうである。花火を見て「きれい」と言ったり、祇園祭で「楽しいね」なんて言葉を残してみたかった。後者に関しては本当に「暑い」しか言わなかった。茨城県からの刺客は京都の暑さには耐えられない。しかも圧倒的な人の量である。日本で一番人口密度が高いのではないか、と疑うほどである。わざわざ好んでこの祭りにくるのは、多分祇園祭に謎の幻想を抱いている僕のような田舎民だろう。

祇園祭もそうだったが、とにかく暑いのである。今年が記録的猛暑であるのか、盆地であるがゆえ京都がほかに比べ異常に暑いのかわからないが、この夏が来年も再来年も続くのであれば地獄である。サウナに強い体にはなるかもしれないが、そんなの別に求めてもいない。別に砂漠に派遣される予定もない。

今年の夏は“どう楽しむか”というよりは“どう乗り越えるか”になりそうでなんとも趣がない。しかし、夏を楽しむ方法を一つ、この間知った。夏とはいえ太陽の出ていない夜はやはりそれなりに涼しい。深夜に自転車に乗って、長い下り坂をとばして下る。これをする季節が夏である必要があるのかと言われたらそうでもないが、夏だから涼しい夜しかできないという限定性に魅力はあるのかもしれない。

夏に襲われている、そんな受動的ではあるが、京都にいるうちしか味わえない限定的な夏。どうせなら楽しみたい。

価値観は人それぞれ

皆さんは毎日歯磨きをしますか?

大抵の人が「はい」と答えるだろう。そして僕にとって筋トレは歯磨きをするのと同じくらいのことである。そして僕は最近筋トレをしていない。筋トレと特に縁がない人にとっては大した問題ではないだろう。だが上記のような考えである僕からすると「最近歯磨きをしてない」と報告するのと同価値である。由々しき事態である。これからテスト期間、夏休みとどこにも筋トレをする場所が見いだせない。折角筋トレをしていた受験生のときや浪人生のときは海に行かなかったのに今年は行くことになりそうだ。『ボッチを引退するためにやるべき10のこと』という意味のわからない啓発本があったら“友達と海に行くこと”はランクインを果たすだろう。だからこの平成最後の夏にボッチを卒業するためにも僕は海に行く。レイバンのサングラスをかけて。平成最後の夏、いい響きである。そして僕は平成最後の夏に20歳になる。ついこの前気が付いた。誕生日が8月であった僕は小中高と誰にも祝われることなく年をとっていったため、それなりに8月生まれであることに不服があった。それが見返されるかのように“平成最後の夏に20歳になる”権利を得た。

 別に自慢できることでもないが話のタネくらいにはなるかもしれない。

「俺、平成最後の夏に20歳になるんだ」

「ふ〜ん」

無情である。

 

松屋の牛焼肉定食

松屋に行くとだいたい牛焼肉定食を頼む。友達はバラエティ豊かに頼んでいるのだが、僕は悩んだ末、牛焼肉定食を頼む。大盛にするのも忘れない。750円であんなに牛肉を食えると思うと今にでもよだれが出そうだ。まずサラダが出てくる。ここで肉へのモチベーションを最高まで高める。そして意外にもメインはすんなりと登場する。牛肉が重なっている。絶対にうまい。そう確信して食べるとやっぱりうまい。そして肉の油で参った口を味噌汁で流す。最高のコンボがここに誕生する。強いて難点をいうなれば、ご飯が少ないということだ。肉が多すぎてご飯が少ない。最高のことのようだが、味の濃い肉にはやっぱりご飯は欲しい。

そういえば、この前ツイッターとかいうインキャ御用達アプリで見たんだが、同じものをずっと食べる人や同じ曲をヘビロテで聞く人間はうつ病になりやすいそうだ。完璧に僕のことを言っている。同じものを食べるのは上記で述べた通りであり、音楽も「これいい」と思ったのを飽きるまで聞いている。名指しで言われたようなもんだ。これは心外である。自分の好きなものに一途に突き進むこの僕をうつ病と言うのか。こんなに楽しく、くだらないブログを書くうつ病はいないだろう。ツイッターは本当に害悪である。

明日からカルビ焼肉定食頼むか。

 

イヤホンの、耳に異物をぶち込んでる感

イヤホンというのはボッチには必需品である。僕はボッチであるにも拘らず大学に入ってからはイヤホンを使っていなかった、というか持っていなかった。バイトまでの移動時間などの電車に乗る時間は音楽聞きたいし、しょうがないからヨドバシカメラに買いに行った。昔は高いイヤホンがいいと思っていたのか知らないが1万円くらいするイヤホンを使っていたが、今回は5000円しないくらいでなんとなくいいなと思うものを買うこととした。イヤホンの音質をどうこう語ってくるやつもいるが、確かに比べれば高いイヤホンの良さは目立つ。しかし普段使うのはたいてい1個である。比べる対象がないといい音質の恩恵をおもいっきり受けるのは難しい。1万円のイヤホンを使っていたが、ケーブルが切れたので100均のイヤホンを代打で使っていたが「満足できない」なんて別に感じず「慣れたら勝ちだな」くらいに感じた。つまり音楽に本気で携わらない人が日常で使うイヤホンにそんなお金をかけても意味はない。それでも5000円かける僕はただのバカなんだろう。

結局finalという会社のE2000というものを買った。高音に特徴があるらしい。よく知らないが、アイドルの声が一番よく聞こえたのでこれを買った。イヤホンを買って久しぶりに耳に差し込むとなんとなく違和感がある。よく考えると耳といういろんな器官が集まっているところへ向かって異物を混入するわけである。みんなイヤホンをつけ慣れてこの純粋な感覚を失っているのではないか。僕が感じた違和感こそ本来イヤホンを耳に入れたときに起こる反応だろう。生まれて初めてイヤホンをつけたときどう感じたかなんてみんな覚えていないはずだ。物心ついた時にはみんな耳に異物をぶち込んでいるのだから。

たかがイヤホン1個でよくもここまで語れたものだなと我ながら感心しています。

アイドルは神だから懺悔しよう

早寝早起き朝ごはん。

健全な生活習慣の指標であるだろうこの三つを見事にクリアしていない。それが今の僕である。この間は5時に寝て16時に起きた。昼夜逆転に王手がかかっている。寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きる権利をわれわれ人間は有しているはずだが、この世界で普通に生きるにはそんな権利などないも同然である。罪悪感までも感じてしまう。あと思ったのが、生活習慣が崩壊すると心なしか気分もブルーになる。起きている時間が夜だから必然的であるかもしれないが。個人的にはせっかく読者になってくれた77人を失ったのが悲しい。やっぱり読まれるブログのほうが書きがいがある。まぁまた増やしていくさ。

今の僕は生活習慣の改善がどうとかいう以前に懺悔が必要であると思う。僕は他の日本人と一緒でクリスマスを祝ったあとに正月を楽しむタイプである。無宗教である。そういえば、この前12月24日つまりクリスマスイブにある握手会に何も思わずに申し込んでいた。もうかける言葉もない。末期かもしれない。話を戻すが、無宗教である僕は何に懺悔すればいいのか。答えはついさっき出ている。アイドルだ。推しメンの画像をコピーして壁に貼る。と言いたいところだがコピー機を持っていない僕がコンビニにアイドルの画像をコピーしに行くほどの勇気はない。メッカに拝礼方式で行こう。さて僕の家から見て推しメンはどの位置にいるか。推定するに西である。さぁ来た。西を向き日頃の生活習慣の悪さを懺悔するときが。

かくいうアイドルたちはショールーム配信で夜にカップ麺を食べていた。

 

※これは懺悔したにも拘わらず、朝の4時に書かれました。

 

 

テトリス

テトリスと人生に類似点を見出したことがあるか。僕はある。

僕はテトリスが好きだ。ただのブロックを消すゲームであるが、そのシンプルさ故か、あまり飽きが来ない。上から降って来るブロックをドンドン重ねていく。テトリスも人生も最初グダグダになるとその後に影響が出てくる。そしてゲームオーバーになる。最初が快調だとそのまま快調に行く。テトリスと人生の最大の違いは“もう1回始め”られるかどうかだ。

これが単位だったらいいなぁ、とふと思った。何を隠そう今の僕ほど「落単」が似合う男はいない。ベスト落単ニストである。なにか特殊な能力を持っている人には僕の頭の上に「落単」の2文字が浮かんでいるのが見えるだろう。さぁどうしよう。今の大学教育は必要ない、というイーロンマスクの言葉を信じて大学をやめようか。しかし、やめたあと途方に暮れるのは目に見えている。目的があってやめる大学には意味がある。残念ながら「めんどいからやめたい!」というのはただの怠惰であり、僕のことである。YouTuberにでもなろうか。バイトしながらだったらそれなりに生きていけるのではないか。

僕は今完璧に悩める人となっている。「そんな悩んでないで今を楽しもうぜ!」パリピは言う。僕は今を悩んでいるんだ。