タナカ

多分めっちゃタメにならない

マクドナルドでの一コマ

京都という土地に嫌気が差したわけではないが、茨城県水戸市を訪れた。俗に言うところの故郷である。水戸から京都に旅立って半年しか経ってないのに水戸を故郷と呼び、かつノスタルジックな感情を抱ける自分の感受性の豊かさに感動しているうちに千波湖を一周し(地元の湖で一周3キロ)、水戸駅に到着していた。水戸駅という駅は6年間プラス浪人の1年間で感じ切ってしまっていてもう行くところなどないのだ。行くところのなくなった大学生がマクドナルドやスターバックスに足を運ぶのは一種の定石であろう。僕も例外ではなくマクドナルドへ行った。行った、というよりは勝手に足が進んだというべきかもしれない。ビックマックセットを食べている僕はふと疑問に思った。マクドナルドで商品と引き換えするときのレシートの数字は何を意味しているのか。この疑問のおかげでその時食べたビックマックの味はしなかったようなものだった。マクドナルドでは注文した後三桁の数字が書かれたレシートをもらい、その番号が呼ばれたら商品と引き換えるという古典的な方法で商品の引き渡しを行っている。その番号は三桁なのだが僕が観察するに上一桁は順番でない。287の後に188が来ているのを見てそう感じた。三桁まとめて考えるとわけがわからなくなるので、とりあえず下二桁をもう少し観察することにした。87,88,89と順番になっているため、下二桁は順番通りになっている。問題は残りの上一桁である。1,2,3が交互にやってくる。290,391,392,193。上一桁はメニューによって決めているのか?3だとセットで2だとドリンク。この法則は惜しくも当てはまらなかった。ふとレジを見る。ぼくは真理を知ってしまった。マクドナルドに消されるかもしれない。その時は本望というものだ。

一番左のレジで注文すると193。次に二番目にレジで注文すると294。もうお分かりだろう。こんなにも頭を悩ました上一桁はレジの番号であった。ちょっと難しい数学の問題を解き終えたような疲労感があった。大学でどれだけ頭を使っていなかった痛感してしまった。

さぁ京都に戻り授業初日を迎えてしまった。「大学は人生の夏休み」というが、その言葉に忠実に生きていたら前期、半分以上の単位を落とした。後期の単位を落としたときは僕が命を落とす時かもしれない。

独特のくしゃみをするやつ

電車で前に座っている人がすげぇくしゃみをする。その人がくしゃみをするたびに毎回笑いそうになる。周りの人は口元が緩んでさえいない。何を隠そう僕は他人のくしゃみで結構笑う。くしゃみというのはずいぶん個性が出る。最近思うんだが、たった12個しかない星座では死ぬほど占うくせにくしゃみ占いがないのはおかしい。「昨日~なくしゃみをした人は今日の運勢は最悪!」なんて面白そうじゃないか。ネタも尽きなさそうだし。本当にくしゃみはいろいろ存在する。「ハクション、アァン」ってくしゃみした後に喘いでくるやつとか、女の子なのにためらいなく「ハックショイ!!!」って出す子とかいろいろいる。くしゃみは体から異物を出す動きの中で唯一他人の面前で行えるものだと僕は考えている。(呼吸や涙を除く)くしゃみを出すためにトイレに行っている人などいないだろうし、その必要を感じない。せいぜい口を押える程度だ。つまり健全に他人の異物放出の瞬間が見れるのだ。見れるというと喜んで見るようだが、別にそういうわけではない。ただ単に可能だ、というだけの話だ。こう書くと何となくくしゃみをするのが恥ずかしくなるかもしれない。かくいう僕はくしゃみに1つのこだわりを持っている。

「同じくしゃみを二度としない」

ということだ。まぁこんな堂々と行を変えて書くことでもない気もするが、限られた人生だし、くしゃみくらい毎回変えたいという意味の分からない感情に由来してこんなことを言うようになった。意味わからないくらい大きい音で「ハクション!」と言ってみたり、巻き舌をしながらくしゃみをしたりといろいろしてきた。こだわりがあるのである。最近はスタンダートな「ハクション」で済ませることも多いが、ふと思い出したときは奇想天外なくしゃみをしようとしている。よく「何かにこだわりのある男性は魅力的」というふざけた発言が見られるがこれで僕も魅力的な男性に仲間入りである。

みんな大好き乃木坂について

意外と知られていないが僕は乃木坂が好きである。

今はSTU48が好きなので乃木坂への熱が下がっただけでメンバーだって3期まで全員言えると思う。言えないかもしれない。48が好きだから、坂道が嫌いなわけではない。乃木坂も好きなのである。というか可愛い女の子を嫌いになるのはいないだろう。いたとしても嫉妬に狂った女子くらいであろう。そう考えるとイケメンは得だ。別に男はイケメンに嫉妬はしない。だが、友達は言う。「美男美女は話がつまらない」確かに。高校の時にいたイケメンに「話が面白い」という印象はない。まず、美男美女は話を聞いて笑っているだけでいいから、面白い話をする必要がないのかもしれない。いいもんだ。

話を戻すが乃木坂の推しはミサミサである。正式名称は衛藤美彩である。キレイとかわいいのハイブリットでありながらエロさまでも兼ね備える彼女に惹かれない男はいないであろう。男が好きなものを全て持っているいるといっても過言ではない。ここまで熱く話すと引かれそうだが、乃木坂のいいところは万人受けするので話題ができるということだ。初対面でいきなりはガチヲタだと思われそうだが、話をすすめていくうちに「そういや俺乃木坂とか結構好きなんだ」っていうと案外話がはずんだりする。大学で初めてできた友達はこの手法に頼らせてもらった。乃木坂の強さは、女の子にも同じことができるということだ。女の子でも乃木坂好きは結構多い。かわいい子をねたむ女子も乃木坂レベルだと嫉妬の「し」の字も出ないのだろう。そして、興味のない人も「乃木坂だったらヲタクではない」と錯覚してくれる。乃木坂もSTU48も手が届かない女の子を好きになるというのは変わらないのに乃木坂はオッケーで「STU好きなんだ」と言ったときに「お前ガチヲタか、、、」という反応になるのかは理解に苦しむ。

以上元乃木坂在宅ヲタクの戯言でした。

浮気

松屋で牛焼肉定食というのをよく食べる、という話を少し前に書いたのだが、この前ふと吉野家に足を運んでしまった。目当ては牛カルビ丼である。吉野家の牛カルビ丼の存在はずいぶん前から知っていたし、もっと言うと食べたこともあった。しつこいがもっともっと言うと結構好んで食べていた、浪人期に。ふと足を運んだ吉野家で浪人を思い出すとは思わなかった。夏というパリピな季節くらい浪人という闇を忘れさせてくれてもいいのに。吉野家にも牛カルビ丼にも罪はないし、浪人生にとって食事は唯一与えられた権利であるので牛カルビ丼で思い出すのは浪人期のうちでも楽しいものなので、そんなにへこむことはない。そして、この牛カルビ丼というのがまぁおいしい。これを浮気というのだろう。世間で騒がれているのに比べればかわいい浮気である。誰も被害を受けない。牛焼肉定食が「浮気だ!」なんて言ってくるわけない。そんなにひどい妄想癖はない。牛焼肉定食にも一つ不満があったが、牛カルビ丼のもある。ついてくるコチュジャンの量だ。足りない。思うんだが、あれは並盛でも大盛でも特盛でも同じサイズのものでないか?「特盛は肉が倍!」そこまで明確に言ってるのに、コチュジャンは倍にしないのか。いや待て。僕は今まで特盛しか頼んだことがない。つまり並盛のコチュジャンの量を知らない。これが特盛の半分の量であったら、問題はないのか。いや、そしたら全体的にコチュジャンの量が少ない。いやもういい。根本の話をするが、牛カルビ丼はコチュジャンがなくても十分おいしい。これで平和的解決だ。そう思いながら、ふと吉野家の壁に貼ってあった「天ぷら定期券」の広告をみた。これは、はなまるうどんでは天ぷらが一個もらえ、吉野家だと値段がいくらか安くなる定期券であった(ほかにも特典があったかもしれない)。「そういえば、よくはなまるうどんで天ぷらもらったなぁ、浪人期に」おい、吉野家。浪人を二回も思い出させたな。僕が何をしたっていうんだ。いや、何もしなかったんだ、勉強を。こうしてこの話を書き終え、ゆっくりと松屋に向かった。

夏 part2



インキャを卒業しよう!

と思い、一生懸命夏を楽しんでいたらブログの更新が途絶えてしまった。夏の暑さになんとか耐えたと思ったらどうも今度は夏バテにやられているような僕の重い体を起こし、こうして文章を書いている。

何から書けばいいかはわからないがとりあえず琵琶湖に行った話をしよう。行ったのはずいぶんと前のことなので脚色を加えて書いていこうと思う。

まず琵琶湖に向かうところから書いていくのが普通だと思うが、時は、東京に住んでいる乃木坂オタクの友人から「大阪でのライブに行くから、泊まらせてくれないか」とメッセージが来たところまでさかのぼる。彼のいうライブはもちろん『乃木坂 真夏の全国ツアー2018』である。それはいいのだが、一人暮らしの大学生の脳というのは突飛なもので、いざこの友人と再会すると「せっかく来てくれたのにこのまま家で寝るというのはいかがなものか?」と考えてしまった。この発想のほうが「いかがなものか?」である。そして僕は琵琶湖に行く前夜、馬鹿が見ても馬鹿とわかる愚行をしてしまった。徹夜でボーリングを決行した。その代償は大きかった。右手の中指と薬指、そして右手全体が痛かった。自宅に帰ったのは6時。そしてわずかながら睡眠をとった。彼女の迎えは9時に来た。わずかながらの睡眠の割には体力は回復していた。「行くか、海水浴」「いや、海じゃない、琵琶湖」という何の生産性のない会話を繰り返し、琵琶湖へ到着していた。景色は完全に海であった。昨日徹夜をしていることなんてとうに忘れて、完璧にテンションが上がっていた。中に入るなり「しょっぱくない」と騒いだ。どんどん泳いでいく。彼女も浮き輪につかまりながらついてくる。「テンションが上がった時は気を付けなければいけない」みたいな意味の慣用句があれば、それを使うのはまさにここである。どんどん泳いでいく僕についてきた彼女は小さいポーチを首からぶら下げていたのだが、その中には僕のスマホが入っていた。そしてそのポーチは防水でなかった。面白いほど結末のわかる話だが、そうだ。僕のスマホは水没した。結果としてまだ使えているので死亡とまではいかないが、画面に少し異変があり、バッテリーが持たなくなったため、徹夜でボーリングをした僕みたいな感じにはなってしまった。悲劇は立て続けに起こる。何かさがしていたので「何かなくしたのかな」と思って聞くと、13000円入っていた財布だそう。落とし物としては最上級ランクのものである。それがメインで使っていた財布ではなかったのは不幸中の幸いだった。必死に捜索をしたが見つかることはなかった。これがなかったら、こんなに海水浴(ではないが)で本気で泳ぐことはなかっただろう。いい運動になったし、あまりにも奇抜すぎる思い出となったのでおそらく忘れることはない。f:id:lost-youth:20180820205053j:image


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夏 part1

すべてがめんどくさくなったら人間は睡眠をとるということが今日一日で分かったことである。

授業は終わったがテストが終わらないせいで、夏休みが始まらない。早く僕を解放してほしい。僕みたいな人間を縛り付けたって、出るのは愚痴くらいだ。テスト期間というのは友達がいないことのデメリットというのを如実に感じる。友達がいない人間には単位はやらないと大学に言われている気もする。そうして僕はテストが控えているにも拘わらず、センスのない文を書き綴っている。

すこし夏らしい話をしよう。昨日友人3人と花火をした。友達がいない話の後に「友達と花火をした」と言われると「募金お願いします」と募金を募っていた人がベンツに乗り込んで帰っていったくらいのダメージはあるかもしれないが、この友人は高校の時のものである。それに、同じ大学ならいいのだが僕だけ違う大学である。意図せずおきた仲間外れだろうか。まぁそれは大したことではないのだけれど。久しぶりの花火であった。楽しかった。“エモい”文章なんてものは書けないので「儚く散る花火に刹那の美を見出し…」なんて感想は持たない。単純に楽しかった、それで終わらせていいだろう。グルメリポーターでもないのに必死に自分の感想を伝えるなんていうのは、供給に需要の追い付かない話だ。もっとも何が楽しかったのかというと“明日テストがあるのに勉強時間皆無で臨む花火”が楽しかった。リスクを伴うほうが物事は楽しいのかもしれない。するともう一個のリスクが襲ってきた。「花火一緒にするって言ったのになんで友達とやってるの」という旨のラインだった。スマホSNSというものが生むデメリットを見事に実践していた。意図せずしてSNSに自らの行動を逐一報告する人間になってしまっていた。これではストーカーに襲われてしまう。そんな心配は杞憂だ。もっと心配すべきことは目の前にある。

 

「今年初の線香花火はお前と一緒にやりたいからやらないでおいた」

 

「意味が分からない」

 

確かに意味が分からない。

 

 

 

バレンタインデーって誰が得するんですか

久しぶりにパソコンを開いた。

まだテストも残っているしこんなのんきなことをしている暇はないが、最近あまりにもブログを書かなかったのでこうやってパソコンを開いてボコボコ打ち込んでいる。それにしても暑い。殺人的な暑さである。夏は苦手だ。夏の話ばかりしていると暑苦しいので今回は季節感のない話を書きます。

バレンタインデーを聖ウァレンティヌスの命日と知っているのはごく少数だろう。僕もつい先日までごく少数でないほう、つまり大多数であった。あと半年後のイベントの歴史を調べるのはさすがに用意周到が過ぎるのでやめておくが、バレンタインデーがお菓子会社の策略で定着したのはよく聞く話だ。それにホワイトデーなんてものはお菓子会社によって作られた日らしい。海外では男女ともにバレンタインデーに何かをあげることからも、ホワイトデーが日本の文化なのかというのは察しが付く。まぁこんなに長々と書いてきたが、バレンタインデーに僕はあまり縁がない。あれはごく一部の「顔面富裕層」が得をし、「タイミングよく気になる男子がいる女子」の告白のきっかけになるというマイノリティーな行事である。大多数は「何ももらえない男子」と「めんどいけど会社とかに配らないといけない女子」が占めていると推測される。もしかしたら、ただ僕が全然もらえないだけで他の男の子はたんまりともらっているのかもしれない。(こう考えるようになるのはうつ病へのスイッチだと思っているので考えないようにします)

ただの負け惜しみをお送りしました。

この夏を乗り切り、冬を恋人と温めあった皆さんはその先にすてきなバレンタインがあると思います。そうでない人のバレンタインは、ただの2月14日であり、寒いままかもしれません。